穏やかといえば聞こえはいいけれど、平凡でぱっとしたこともない毎日。でも、幸せだなぁと感じることが多くなりました。何でだろうと考えてみると、幾つか幸せのヒントを見つけたような気がします。とりとめもなく、そんなことを書いてみようと思います。
1.ネガティブな思い込みを疑ってみる
人生には確かに「どうにもならないこと」があって、それは人の一生に大きな影を落とすものだと思うのですが、「どうにもならない」と自分自身で勝手に思い込んでいるだけなのかもしれません。
以前の私は、片付けられない人間でした。自分の部屋の収納スペースには家族の荷物が満載で、部屋にはハンガーラックを置くだけのスペースもなく。タンスに収めきれない洋服がベッドの上に侵食することもしばしばで。そうなると部屋の片付けとは、ぎゅうぎゅうのタンスに無理やり服を押し込む作業になります。片付けは、時折命じられる義務以外の何物でもありませんでした。収納がないなら、納められるだけの洋服で過ごせば良いのですが、優柔不断な性格が災いして、物を捨てることがとても苦手でした。よく1年着なかった服は二度と着ることがないと言われるのですが、私は2年ほど着なかった服が急にマイブームとなることも珍しくないため、1年で手放す勇気がありません。物を上手く手放すことも出来ず、満足な収納もないのでは、部屋が片付くはずもないと半ば諦めていました。
けれど、ある時思い立ち、押入れの中をきちんと整理して収納問題を解決する方法がないかと真剣に考えてみました。すると、「どうにもならない」状況という訳ではないことに気が付きました。押入れの中の不要なものを捨て、家族の荷物をまとめてみると、まだ多少のスペースは残っていました。洋服をかけるためのポールを設置できるほどではなかったので、そちらにはDIYに使う材料や工具、普段は使わないけれど捨てないと決めている思い出の品や書籍など、洋服以外の大切なものを収納し、洋服の収納には、部屋の前の廊下の突き当りのデッドスペースを活用することに。スリムタイプのハンガーラックを設置し、その他に、コート類と帽子を飾れるように幾つかのフックを取り付けました。「なんちゃってウォーキングクローゼット」の誕生です(笑)。タイルカーペットを敷き詰めて仕切りカーテンをつけてしまうと、お気に入りのスペースになりました。収納ができるようになり、同時に部屋の中であまり好きではなかった部分を改善していくと、自分の部屋が大切な愛しい空間になりました。几帳面な性格ではありませんが、少なくとも今では部屋が散らかることは考えられなくなりました。
もう一つ、「どうにもならない」と思っていたことが、最近、簡単に解決してしまいました。私は重度の近視なのですが、この1、2年での悪化が酷く、とうとう眼鏡をかけて左が0.4、右に至っては0.1という状態になってしまいました。眼鏡をかけての視力です。眼鏡の度数は既に限界値でしたので、この先、物がはっきりと見えることはないのだと思っていました。ところが、年末に眼科へ行って診断を受けたところ、今では眼鏡をかければ視力は1.2まで回復しています。今になって思えば、なぜもっと早く眼科に行かなかったのかと後悔しています。過去に何度も眼科を受診していたものの、受診して目の状態が改善されたことはなかった為に、今回も行っても何も変わらないだろうという思い込みに支配されていました。年末に思い立ち、少し遠方ですが評判の良い眼科を探して受診してみました。結果、近視が進行するのと同時に白内障も進行していたため、白内障の手術の案内を受けました。即決で最短スケジュールで手術を受け、今ではしっかりと手元の画面も人の顔も見えるようになりました。ピントの調整が出来ないため、眼鏡のつけ外しが少し煩雑ですが、何をどうやっても見えなかった頃から考えると信じられない状況です。
後から考えてみると、自分の決断の遅さに呆れるばかりですが、悩んでいる間には解決策のない難問のように思えていました。というより、ずっと目を逸らしていただけなのだと思います。目を逸らすことをやめて、真剣に向き合ってみると、全てではなくても解決する方法が見えるのに、目を逸らして漠然と不安だけを抱えているよりずっと楽しい世界が待っているのに。なかなか難しいものです。
「どうにもならない」は、どうにかなるかもしれない。変えられることは変えていこう。